以下の記事は、新たな視点を読者に与える意図で作成しています。事実を保証するものではございませんので、ご承知の上、自己責任でお読みください。
責任とは
1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての—がある」「—を果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。「事故の—をとる」「—転嫁」
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。
デジタル大辞泉
よく「○○の責任をとれ」などと使われる責任という言葉。
日本では、よく謝罪の記者会見などが行われ、「責任を取って辞職します」という話になる。
責任とはどういうことだろう。一緒に考えてみよう。
責任という言葉は不思議な言葉だ。起こってしまったことというのは、変えることはできない。どうにもならないことについて、責めを負うというのが責任という考え方だ。責めを負ったとしても、変えられないことは変えられないことのままだ。
私は常日頃から、自分の行動は自分だけのものだと思っている。迷惑がないとは言わないが、他人への影響は、その人の主観によって変わるものだ。つまり、自分への影響が大きいと捉えるか捉えないかはその人次第で、他人に影響を与えられることなどまずないというのが私の考えである。他人からの影響を重大なこととして受け止める人はわりと多いように思えるが、本当は自分の主観次第なのである。だから、自分がしたことについて、他人が責任を追及するという構図がそもそもおかしい気がするのである。そして、他人に「責任は取ったから」と許されるのもまたおかしい気がする。
私は、責任というのは、そもそも自分に対してしか取りようがないのではないかと思っている。人生はインプットで、自分の行動もインプットで、自分の命に対して失礼なことをした場合、自分に誇れないことをしてしまった場合、それが自分のインプットとして取り込まれることになる。本当の意味で責めを負うことができるのは自分だけのように思えるのである。そして、自分に対してしっかり責任を負いながら生きていきたいと思っている。
信用、信頼とは
信用とは
1 確かなものと信じて受け入れること。「相手の言葉を—する」
2 それまでの行為・業績などから、信頼できると判断すること。また、世間が与える、そのような評価。「—を得る」「—を失う」「—の置けない人物」「店の—に傷がつく」
3 現在の給付に対して、後日にその反対給付を行うことを認めること。当事者間に設定される債権・債務の関係。「—貸付」
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信頼とは
[名](スル)信じて頼りにすること。頼りになると信じること。また、その気持ち。「—できる人物」「両親の—にこたえる」「医学を—する」
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「あなたを信用(信頼)します」こう言われると、たいていの人はうれしいはずだ。信じて受け入れてくれるのは尊いことに思える。
世の中には、詐欺師もいたりして、だまされる人というのがいる。信じていたのに裏切られた。なぜこういうことが起こってしまうのだろうか。
個性持ちの考え方では、信じるということは自分以外には通用しないことだ。確かに、全面的に信じてもらえるとしたら尊いことかもしれないが、それは信じ込む相手にとっても、(前述のように)本当の意味では責任を取りようのない自分にとっても、とても危険なことなのだ。
本当に信用・信頼するというのはどういうことだろう。個性持ちは自分を信用・信頼するために努力を惜しまない人たちである。正確には自分自身ですら、信用・信頼はしていない。自分の行動とその結果の結びつきを信じている。信用・信頼というのはそんな軽々しく生じるものではないのだ。自分を本当に信用・信頼することの重みを知っている人たちなら、他人のためにも自分のためにも、他人を信用・信頼することなどない。自分と自分の行動だけ信じられれば十分で、他人にそれだけの重い責任を負わせるのは酷であることを個性持ちたちはわかっている。他人を信じないというのは、他人への優しさでもあると思うのだ。
優しさとは
[形][文]やさ・し[シク]《動詞「痩 (や) す」の形容詞化で、5が原義》
1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。「—・い顔かたち」「声が—・い」
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。「—・く慰める」「—・い言葉をかける」
3 性質がすなおでしとやかである。穏和で、好ましい感じである。「気だての—・い子」
4 悪い影響を与えない。刺激が少ない。「地球に—・い自動車」「肌に—・い化粧水」
5 身がやせ細るような思いである。ひけめを感じる。恥ずかしい。
「なにをして身のいたづらに老いぬらむ年のおもはむ事ぞ—・しき」〈古今・雑体〉
6 控え目に振る舞い、つつましやかである。
「繁樹は百八十に及びてこそさぶらふらめど、—・しく申すなり」〈大鏡・序〉
7 殊勝である。けなげである。りっぱである。
「あな—・し、いかなる人にてましませば、味方の御勢は皆落ち候ふに」〈平家・七〉
[派生]やさしげ[形動]やさしさ[名]やさしみ[名]
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ここでは2の「他人に対して思いやりがある」という意味に対して、考察していく。
思いやり(おもいやり)とは、他人の気持ちを理解し、その人の立場や状況に配慮する心の持ち方を指す言葉である。他人の感情や状況を尊重し、その人が困難や苦痛を感じているときに援助や励ましを提供する行動も含まれる。思いやりは、人間関係を円滑にし、コミュニケーションを深める助けとなる。 思いやりは、友人間だけでなく、家族、職場、学校など、日常生活のあらゆる場面で必要とされる。また、ネット上でも思いやりは重要で、他人の意見を尊重し、攻撃的な言葉遣いを避けることが求められる。思いやりを持つことで、人々は互いに理解し合い、より良い社会を作り上げることが可能となる。
実用日本語表現辞典
優しさとは一般に上記のような意味である。だが、私の考える優しさというのは違う。本当の優しさとは何だろう。
前述のように、個性持ちのように他人を信用・信頼しないことは優しさだと私は考えている。自分自身を本当に尊重できるということは、やたらと人のせいにして責任を取らせたりしないということでもあるのだ。
他人の気持ちを本当に理解することなどできるのだろうか?それは勝手な思い込みに他ならない。勝手に理解した気になるほうが失礼ではないだろうか。
他人を助けることなどできるのだろうか?助けられると思っているのは自分自身のためではないだろうか。だとしたらただのうぬぼれだ。自分自身を本当の意味で助けられるのは、結局は自分自身だけだ。
結局、本当に誰かのためになることなど、ないのである。ただ、自分のためになることと、ならないことがあるだけだ。本当に自分自身のためになることをしていれば、見返りなど必要ない。よく人に優しくすると自分に返ってくるから優しくしたほうがいい、という話があるが、自分のためにだけ行動していれば、見返りは一切不要になる。既に行動自体が自分のためになっているのであるから、それで十分なのである。これが私が思う本当の優しさの形だ。自分のための行動が、例えばこうやってブログを書くことが、もしかしたら、ひょっとしたら誰かのためになることがあるかもしれないし、ないかもしれない。それぐらいがちょうどいい優しさの形だと思っている。優しくするために自分を犠牲にするなど、絶対にあってはならないことだ。
約束とは
[名](スル)
1 当事者の間で取り決めること。「—を交わす」「結婚の—を破る」「子供に—したことを忘れる」
2 ある社会や組織で、守るように定めたきまり。「会の—に従う」「舞台上の—」「漢詩には平仄・脚韻など守るべき—がある」
3 その実現が確実視されていること。「社長の椅子が—される」「将来が—された人」
4 前から決まっている運命。宿命。因縁。「前世の—」
5 ⇒お約束2
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約束するということは、人と関わって、取り決めをすることである。約束を守ると信用・信頼される。
約束については色々な議論がある。約束は絶対に何が何でも守らなきゃいけないものだろうか。
私はそうは思わない。約束を破れば信用・信頼を失うことになる。しかし、それよりも大事なことがあると私は考えている。本当に自分自身のためになることのためになら、破ってもよいと思っている。
ということは、なるべく人生に不自由がないようにするためにも、約束などないほうが良いということになる。そもそも約束などするべきではないのである。人生には何が起こるかわからないし、この世に絶対などということはないのだから。そして、当然ながら他人にも約束をさせるべきではないと思っている。他人の行動は自分の思い通りにはならないし、人を不自由にすべきではない。
ただし、以前書いたように、個性持ちにも「制約」という概念がある。自分で自分のために決めた決まり事だ。こちらは個性が定まって自分の道を歩めている人であれば、絶対に守るべきだし守りたいはずだ。制約は自分のためにあってもいいと思う。
価値とは
1 その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。「読む—のある本」「—のある一勝」
2 経済学で、商品が持つ交換価値の本質とされるもの。→価値学説
3 哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。
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本当に価値があるもの・本当に価値があることとは何だろう。
世の中では、価値があると思うことを広めようと多くの人が活動をしている。しかし、それが本当に相手のために役に立つということがどれだけあるのだろう。それは自分のためか、うぬぼれなのではないだろうか。
「価値のある情報ですよ」「価値のある商品ですよ」こう言われたことはあるだろうか。価値というのは、本来本人にとってしか通用しない言葉である。誰かにとって価値があることが、ほかの人にとって価値があるとは限らない。価値は主観的なものだ。価値の押し売りなど、あってはならないことなのだ。その人の役に立つかどうかなど、本人にしかわからないし、あるいは本人にもわからないかもしれない。提供されたものが自分の役に立っていると思い込んでいる場合すらあるかもしれない。価値というのは、実は非常に難しいものなのだ。
私はこのブログで、価値観について扱ってきた。自分にとって本当に価値があることはどういうことなのか、それを見極めるのも非常に難しいことなのである。個性持ちは価値観を高めている。価値を軽々しく口にするのは、価値を本当の意味では理解していない人だけだ。
意味とは
[名](スル)
1 言葉が示す内容。また、言葉がある物事を示すこと。「単語の—を調べる」「愛を—するギリシャ語」2 ある表現・行為によって示され、あるいはそこに含み隠されている内容。また、表現・行為がある内容を示すこと。「慰労の—で一席設ける」「—ありげな行動」「沈黙は賛成を—する」
3 価値。重要性。「—のある集会」「全員が参加しなければ—がない」
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ここでは、3の価値・重要性の意味で考えていこうと思う。
意味のある事とは何だろう。意味のある人生とは?生きる意味について、過去に考察したが、生きる意味は自分で見出していくしかないというのが私の結論だ。意味のある人生などあるのだろうか?意味という言葉も、価値という言葉と同じで、本来は客観的なものではなく、主観的なものである。つまり、他人があの人の人生には意味や価値があったなどと判断すべきものではないのであって、本人にとって生きる意味があるかないかと同じように、本人にとって意味や価値のある人生といえるかどうかという視点が存在するのみだと考える。
主観というのも本当はとても難しいものなのだ。価値と同じで、いや、価値以上に、意味というのは難しいものである。私も、できる限り意味のある事をしたいと思っているが、自分のことであるにもかかわらず、本当に意味があることが何なのか、見極めるのは不可能に思える。本当に意味があることなどあるのだろうか。人生全てを費やしても、本当の意味になど辿り着かない気がする。少しでも近づけるかどうかという次元の話なのだと思うのだ。
まとめ
今回の一曲
REASON TRIANGLE / QUADRANGLE
アニメ『ジョーカー・ゲーム』オープニング
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