インプットが全て
ここまで見てきたように、私たちの視点や世界観を決めているのは知識や情報だ。ではその視点や世界観を自由に操るにはどうしたらよいのか?
全ては、インプットにかかっている。つまり、どんな情報を、知識を得るかだ。インプットにとことんこだわること。どんな情報・知識を得て、どんな情報・知識を得ないのか。
あなたは日々どんな情報を仕入れているのか、自覚しているだろうか?テレビ・ラジオ・新聞などのマスメディア、Youtubeなどの動画サイト、XなどのSNS、本や雑誌、景色、音、匂い。身の回りにいて関わりがある人たち。全てが情報だ。自分はどんな情報と関わって生きているのか。考えてみよう。あなたの生きている全ての瞬間は情報で、あなたの人生の全ての瞬間はインプットなのだ。
アウトプットはインプット
基本的に、人生にアウトプットは必要ない。ずっとインプットし続けているだけでいい。そうするうちに、腹落ちし、自分の中で代謝され、言動となって表れることになるからだ。最近ではインプットを軽視するような発言を聞くことも多いが、私に言わせれば、自然とアウトプットされるぐらいまで、膨大なインプットをし続けるべきなのだ。そうでなければ、重みがない。うわべだけの知識になってしまって、中身がないものになってしまう。中身がない人に私はなりたくないし、中身のない人生にするのも私は嫌だ。重みがなくなるということは、生物である私たちである必要がなくなってしまうということだ。それならコンピュータで十分だ。牛のように自分の中で何度も咀嚼して、時間をかけて消化されていくプロセスを通すことが、生物としての私たちにとっての本当のインプットなのだと私は考えている。
そうしてインプットはやがて言動となって表面に現れ、その言動というアウトプットも、次なる、新たなインプットとして、改めてインプットされることになる。自分の言葉や行動もインプットなのだ。だから自分の個性を確立し、個性という無意識のフィルターから出てくる言動をぐるぐると循環するようにインプットし続けることで、自分らしい人生を送り続けることができる。
1、自分が触れる(自分の感覚器官が受け取る)あらゆる情報にこだわり、何の情報を得て、何の情報を得ないかコントロールする
2、自分の言葉や行動にこだわり、自分に誇れることしかアウトプットしないように気を付ける
以上2点が人生において、インプットの観点から大事なことである。
だが、細かいことを言うと、インプットだけで何もしないままだとまとまってくれない部分というものも出てくる。その場合だけ、あえて言語化したりしてアウトプットすることで、新たな形でインプットができるため、アウトプットの意義がここで生まれることになる。
私がブログを始めた理由は、インプットにこだわった結果だ。アウトプットしてまとめたものを自分に再度インストールするために、最終形として言語化してアウトプットをしている。全ては自分のためだ。ちなみに自分のためにならないことは、誰のためにもならないからしないというのが、私の主義だ。
インプットにこだわる
インプットにこだわって、自分らしくインプットが出来るようになっていくと、人生があなた色に染まりだす。自分の考えが整然とし、自分にとって大事なこととそうでないことの区別がつき、人に流されなくなり、大事な人生を大事にできるようになる。
今回の一曲
真理の鏡、剣乃ように / 鈴木このみ
アニメ『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』エンディング
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