生きる意味について、考えていきます。
私たちは恐れている
全てが虚しく、無意味であると気が付くことを恐れている。
全てが無価値であると気が付くことを恐れている。
生きる意味を、生きるための気力を失うことを恐れている。
全てを失ったとき、あなたは絶望するだろう。そこに光がさすことはない。
自分で照らす以外、何も生じない。
そのとき、あなたは自分に、自分の個性に気が付く。
そこにさす光が個性だと、気が付く。
私たちは、個性を道しるべに、生きる意味を見い出し、生きていくことができる。
生きる意味とは?
生き残ることに本当に意味はあるのだろうか?生き残ることは素晴らしい?奇跡?
私は生き残ることに意味があるわけではないと思う。意味があることが積み重なった結果として、絶滅したり、生き残ったりするのだと思う。意味があるのはその自然の摂理の方で、同じように生きることにも、死ぬことにも意味があるわけではなく、自然の道理の中では、生きることにも死ぬことにも意味があるのだと思う。
さて、今の人類は自然の営み、自然の道理の中にいるだろうか。私たちは自然の道理の中で生きているのだろうか。私は否だと思う。自然からはぐれ、そのままグレてしまった幼子のようである。
それでは、私たちの生きる意味は、死ぬ意味はどこへ行ってしまうのだろうか。
これに対する私の解は、自分で見つけるしかないということだ。ガープ中将は
そりゃお前、生きてみりゃわかる。
『ONE PIECE』(著者:尾田栄一郎)
と言っているが、私は生きるだけでは甘いと思う。エースはまじめな性格だから、それで頑張れたのかもしれないが、私は「死に物狂いで探す」しかないと思っている。
生き残ることにも、死ぬことにも意味がある世界にいられないのなら、自分が意味を持たせられる、意味があると思える世界観で生きる必要が出てくるということだ。いや別に、野生で生きられるし、それこそが自分だと100%言い切れるのであれば世界観は不要かもしれない。でも私を含めた多くの人が、野生=自分と思うことすら難しいのではないかと思う。ではどうするのか。自分がその世界を見い出すしかないということだ。
命に失礼のない生き方とは?
よく「いのちが大切」という話を聞くことがあると思う。命が大切というのはどういうことだろうか。これは命あっての物種だ、生きていればそのうちにいいこともあるさ、といった意味で使われることが多い気がするが、私は生きていればいい、生きていれば許される、とは思わない。命があるからこそ、最高の人生を送る責任が、自分に対してあるのだと思う。だから、最高の人生を送る覚悟ができないのなら、人生なんてやめてしまえ、と個人的には思っている。人に言ったりはしないけれど。
命に失礼な人にイライラする
世の中は、自分の人生に対して失礼な人であふれている。最高の人生を送ろうという気概が、彼らにはないのだ。私はいつも、話しかけられたりすると、二重にイライラする。私の時間を費やさせる迷惑もさることながら、自分の命の時間を、無駄な人に話しかけて浪費していることに対して。余程私と話すことに何か重大な意義があれば別かもしれないが、そんなに必要とされる覚えはないからだ。親切に話しかけてくれているのかもしれないが、頼むから、私は放っておいてもらって構わないから、自分の命に失礼のない生き方をしてほしい、と思ってしまう。
命をなめるな
いい加減な人生を送って、どうしてヘラヘラ楽しそうに笑っていられるのか、私にはわからない。私に出来ることはほとんどないが、それでも自分に誇れる人生を生きようと頑張っているのに、自分のパフォーマンスを下げるような行動をとったり、無駄で無為な時間の過ごし方を、生き方をしているようにしか見えない人がときどきいる。私には、信じられない。
誇り高く生きる
野生生物は、みな、自分の命を当たり前に誇って生きているように見える。私たちは野生ではないが、彼らのように誇り高く生きていたいものだ。
病んでいるときに最初にすべきこと
精神的に病んでいるとき、あなたはおそらく疲れ切っているはずだから、まずは数年ぐらいしっかり休むことと、たっぷり寝ることが大事だ。これは生物として当たり前のことで、けがをした動物は洞穴などの暗いところで、ただじっと治るのを待つらしい。まあこの話は、疲れているときはそんなに食べたりしないという話なのだが、メンタルも含めてやはり生物なのだから、疲れていると自覚していなくても、病んでいるのだとしたら疲れているし、だからあなたは休むべきなのだ。それだけでも意外と問題は解決していく場合もある。私など、一時期は15時間寝ていた。12時間にしていたころもあった。
今では普通の人と同じか、それでも良く寝ている方かもしれないが、季節や体調によって多少変えている。だるいのにもやる気が出ないのにも不調という問題がまず隠れているはずだから、出来るだけ取り除く努力をするべきだ。それでも治らない、解決しない根本的な心の問題があるのなら、それが「絶望」かもしれない。
今回の一曲
ないない / ReoNa
『シャドーハウス』1期エンディング
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