1-9 個性持ちたち その2

「個性持ち」たちの世界とは?

この世界に用はある?

世界と自分との間に齟齬しかなくなると、当然、世界に用はなくなる。しかしながら、全く何の理由もなく生きていくのは苦痛である。ではどうしたらいいのか。答えはいつも自分の中にある。自分に、自分の運命に、自分の人生に用があれば十分だ。それを見い出していけばいい。

自分の居場所は自分

よく居場所を作りましょうとか、居場所がなくて悩んでいるという話を耳にするが、居場所というのは必要だろうか。

確かに、社会人としてやっていくにはかなり厳しいものがあるかもしれない。でも本当は、自分の居場所は自分で十分なはずだ。私には、他に自分の居場所を求める人は幼稚に見える。

それに、一番いい居場所に自分がなってあげることは、自分にとってとても重要なことのように思える。自分以上に居場所になってあげられる人などいない。自分クオリティがやはり最強だ。

嘘はついても良い

個性持ちは、目的を遂行するために生きている。つまり、目的のためなら嘘をつくこともある。

人に嘘をつくかどうかよりも大事なことがある。自分の人生に正直かということが、本当はそれよりも大事なはずだ。嘘はついても良いから、自分の生き様には絶対に嘘をつかないようにしよう。

個性持ちは人を殺す

私に言わせれば、人を殺すことも、自分を殺すことも、悪いことではない。悪いのは、本当に命を懸けていることのために殺していない場合だけだ。命を懸けていることの邪魔をしたから殺す、命を懸けられることが見つからないから自殺するというのは、それほど悪いことではないと思う。

ただし、個性持ちから言わせれば自分を殺すのは甘いと言わざるを得ないが。死ぬ気で生きる決断をして、自分を殺してしまうよりも重い覚悟を持って生きている個性持ちと比べてしまうと、甘すぎるからだ。でも、私は、どうしてもしたいこともないのに生き続けることに比べたら、自殺ぐらい、悪いことでも何でもないと思う。許しても良いと思っている。

自殺は悪いこと?

『バビロン』(著者:野﨑まど)というアニメがあって、性的な意味でやばいアニメだから、お勧めはしないのだけれど、自殺を禁ずるか許すかという話で。私は、自殺は何も悪いことではないと思っている。生きていることが素晴らしく、生き続けることが素晴らしいという価値観が壊れてしまうかもしれないということだけだ。

殺すより難しい?

アニメあるあるというか、よく「殺すよりも、生かしたまま倒す方が難しい」といったセリフを耳にするが、殺すよりも、殺さずに排除する方が難しい。

世の中にいると、正義感やら親切やら、共同体意識やら、自分とは関係ない人も自分と同じ倫理観を共有できていると思ってのことか、社会に関わらせようと、あの手この手で邪魔や迷惑が入ってくる。

私はロズワールやヒソカと違って弱いから、この世で罪を犯しても、捕まらずに自由を謳歌し続けることなどできないだろう。自分を不自由にすることは、個性持ちのすることではない。だからこそ法律があるともいうのかもしれないが、これが話を余計にややこしくする。自分のことに本当に集中するためには、本当に余計なことは排除しなければならないからだ。これをさせない世の中は最悪である。自分の行動以外の迷惑を、本当の目的とも関係ないのに排除することに一瞬でも心血を注がなくてはいけないのは、非常に残念なことである。どのみち自分の道に入る時点でかなり振り払えるとは思うけれど、排除が必要な場面は必ずある。出来る限り自分の人生に不純物が入らないように、頑張って。

殺されたくない?

私は、殺しても良いと思っているぐらいだから、当然、殺されてもおあいこだと思っている。ONE PIECE(著者:尾田栄一郎)の赤髪のシャンクスのセリフのやつですね。

銃(ピストル)を抜いたからには命を賭けろよ。

アニメ『ONE PIECE』(著者:尾田栄一郎)

自慢ではないが、私の非力さは笑ってしまうほどだから、当然のごとく勝てずに殺されてしまう方の部類だろう。私は、この世にいるカオスな人たちに殺されるのは少し嫌だけど、個性持ちほど自分の個性を高め、価値観を精査して高めている人になら、殺されてもかまわないと思っている。文句はない。

まあ、私は社会に不要な人間の類いだから、それを理由に殺されても文句もないけども。

一人一人が自由にしたら、万人の万人に対する闘争状態に、無秩序になるのか

私は、否だと思う。確かにこれだけ人であふれかえっていては、ぶつかることが全くないとは考えにくいが、一人一人が自分の人生に集中していて、自分の価値観だけを自分の範疇と考えるときに、一体どれだけの正面衝突があるだろうか、と。私は疑問に思うし、自分の論理とは異なる論理の国家に預ける方が、実は不自然な気がするのだ。自然の摂理や、だいぶ自然から離れてしまったとはいえ自分たちの中にあるはずの摂理を見つけだして従う方が、余程懸命な気がするのだ。もっと言えば、ルールというのは、秩序というものは、本当はみんなで話し合って全体最適を見つけるようなものではなく、一人一人の努力で「自己解決」すべき問題だと思う。

本当の尊重とは?

自分と同じように相手にも洗練された価値観があると考えられるなら、個性持ちどうしでも、その間に尊重が生まれると思う。

逆に言えば、価値判断がしっかりしていない人では、尊重の対象にならないと思う。

今回の一曲

Arcadia (Japanese ver.) / Lilith

『一人之下』第1期オープニング

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