絶望に希望がないのなら、
絶望したら、終わりなのだろうか?
続きはあるのか
常識を手放し、いわゆる普通の人で居ようとすることをやめたら、何も残らないのだろうか。
私は知っている。その続きがあることを。新しい世界への入り口に過ぎないことを。ただ、絶望があまりにも大きいので、多くの人は耐えられずに死んでしまうのだと思う。何も残らなくなってしまって。
でも本当は違う。最後の残るものが一つだけある。それは「自分」だ。どんなに離れたくても、ずーっとくっついて回る存在が、あなたにも一つだけあるはずなのだ。それが自分だ。絶対に自分から逃れることは、逃げることはできない。
でも、一つ注意すべきことがある。それは、あなたの自分への評価は、他人が決めているということだ。わかってもらえるだろうか。「常識から考えて」、あなたは人より劣っているかもしれないし、評価されたり、好かれたりすることもなかったかもしれない。だからといって、あなたの存在意義をそんなことで決めていいものだろうか。社会に必要とされなければ、生きてはいけないと思っていないだろうか。社会批判・常識批判は後からするとして。あなたは本当に正当に自己評価が出来ているだろうか。他人から押し付けられた評価を自分だと思っていないだろうか。はっきり言っておくが、それは幻想だ。今まであなただと思ってきたあなたの姿も、あなたではない。なぜ自分のことを他人のことのように評価しているのだ?
さあ、主観の世界へ招待しよう。
自分だけが許してくれない
他人がいくら許してくれても、実は自分というのは案外簡単には許してくれないものだ。
それでいい。それが後々譲れない価値観になり、こだわりになっていくから。その厳しさを指して、私は「自分クオリティ」と呼んでいる。本当はこれが一番厳しいのだ。なぜかって?それは人の欲が深いからだ。欲深さは自分への厳しさになる。強欲に、自分クオリティを追求しよう。
好きなことが見つからなければ死ぬ
この世界にあるものを、自分を含めて一旦すべて受け入れられなくなったなら、どうすればいいのだろうか。
自分探しの旅は勧めないが、おすすめの方法がある。それは、本当に好きなことが何もないかどうか、探すことだ。得意なことでなくていい。本当に命をかけても良いと思えるほど好きなことだ。
一旦すべてを受け入れられなくなっておいて、そう都合良くは見つからないかもしれないが、あきらめずに探し続ける。これなら受け入れられる、これなら続けられそうと思うことだ。いわゆる趣味的なことでいい。一生続けたいと思えるようなことだ。恥ずかしながら、私はアニメを観ることとと音楽を聴くことだった。単純に好きなだけのことだ。今では、もっと日常生活を大切に思えるが、最初はそこから再スタートした。
一度はそれらすら受け付けられない時期もあったが、これでなければもう本当にないから、死ぬしかないかしらと思っているうちに、本当の面白さを見つけられて、戻ってくることが出来て、ちゃんと本当に好きなことになってくれて、なんというか、無事に生きている。
自分が価値があると思うことだけと関わって生きる覚悟を決める
一旦すべてを受け付けられないぐらい病んでしまうと、当然、好きなこと以外は受け入れられないままだ。時間が経つと変化はあるし、少しづつ興味が広がりはするが、そんなに都合良く他のことまで受け入れられるはずはない。ではどうしたらいいのか。
本当に価値があると思うこと以外と関わることをやめてしまうことだ。そうすれば、いろいろ支障は出るかもしれないけれど、自分を損なうことはなくなる。
好きなことを通して、自分を知る
好きなことが見つかったら、自分のことを知るのに利用しよう。自分は本当は何に価値があると思っているのか。本当は何がどうでもいいのか。何が好きで何が嫌いなのか。感覚の話になるが、自分の形が見えて、埋まってきて、ブレなくなるまで、好きなことに没頭し続けてみてほしい。
価値観を精査する
常識ではなく、自分の価値観が定まることで、自分自身を支える力を手にすることができる。私はこの状態を、「自重を支えている」状態と呼んでいる。常識として身に着けてきた価値観の全てを吟味し、精査してみよう。ヴェールをはぎ取って、自分の考えを知ろう。本当に自分のために必要で、自分にとって価値あることとは何だろう。それが見つかれば、個性持ちにぐっと近づくことになる。
自分の形を見つける
よく自分というのは空っぽの器だという話を聞くけれど、私は自分は惑星の形をしているのではないかと思っている。本当の空っぽではない、何でも受け入れられる器ではない、と。むしろ、自分の許容できない範疇、容認できない範疇など、自分とそれ以外の境界線が見えてくるものだからだ。最初は道徳的に、常識的に判断してしまうかもしれないが、その紙が剥がれ落ちてしまうと、もう常識とは違う自分の価値観しか残らない。
『歌舞伎町シャーロック』というアニメがあって、幼い印象でモリアーティが描かれているのだけれど、彼は心をティーポットに例えていて、彼のティーポットの底には穴が開いてしまっていて、道徳観・倫理観や、人としての感情・心が満ちることなく零れ落ちてしまうというようなことを述べているのだが、私的には、彼の惑星は別のところにあるから、吸収できないのだと思うのだ。確かに人間らしい感情は溜まってくれないかもしれないが、彼の惑星とぴたりと親和するものなら、入ってくるはずなのだ。だから私は、自分の範疇・自分の惑星の位置や形を知ることが大切だと思うのだ。
今回の一曲
Other Side / MIYAVI
『ID:INVADED』(イド:インヴェイデッド)エンディング
アルバム『NO SLEEP TILL TOKYO』4曲目
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