私たちのすぐそばに、
絶望は今もぽっかりと口を開けて待っている。
絶望こそが自分の始まり
今ある状況や自分に満足しきっている、あるいはそう思い込んでいるような場合には、本当の自分とその人生を探すことなどないだろう。実は個性というものも、絶望の中ではじめて見出せるものなのだ。
よく絶望というものを軽視するような発言を見かけるが、本当の絶望に希望など決して訪れない。だから絶望というのだ。希望があって良かったです、などというのは、本当に絶望していなかったか、あるいは中途半端なまま逃げてしまったかのどちらかである。
絶望から目をそらさずまっすぐ向き合い、「ちゃんと絶望する」ことこそが、本当の自分を見つけるカギとなる。
始まりは1%の疑念かもしれない
誰でも、一度や二度ならず、疑問・疑念というものを抱いたことがあるだろう。
自分と思っている自分が自分なのか、それを自分と思ってしまっていいのか。
自分の人生をそのように進めていいものだろうか。
誰かに認められていれば、生きる意味といえるだろうか。などという疑問だ。
人類のしていること、本当は全部間違っているんじゃないか、と思ったこと、ない?
私は常日頃思っていることだ。こんなにも社会問題であふれていて、こんな世界でいいのか、何かおかしいんじゃないか、と思ったことはないだろうか。
1%の深淵と向き合う
多くの人は、疑問や疑念を気のせいとやり過ごしたり、考えてもしょうがないとあきらめたり、考える暇もないほど忙しくして紛らわせたりしていることだろう。
それと向き合うことで、人生を台無しにしたり、足場を失ったりすることが恐ろしいのだ。
しかしながら、本当に恐ろしいのは、訳も分からぬまま人生を続けてしまうことの方だ。これで良かったのだろうかとふと疑問を抱きつつ、人々に囲まれ、自分は幸せだと言い聞かせる。そういう人が大半なのではないだろうか。
人類社会というのは実に巧妙にできていて、ほとんど人に考える暇を与えることなく、労働力として社会に組み込んでみせる。違う言い方をするなら、「人生はこう歩むのが正しいですよ、だから何も心配せず組み込まれていればいいんですよ」と、まだ自分のことも知らぬ赤ん坊にやさしくささやきかけるかのようである。人生詐欺とでもいえばいいだろうか。自分の人生の舵取りを人に任せては、自分を見失い、苦しむのも当然である。
1%の深淵と向き合うには、全てを失う覚悟が必要だ。
普通の人生をやめ、信用や信頼を失い、人間関係を損ない、人生の方向性を見失い、もがき苦しみ絶望する。その覚悟がある人にだけ、それでも進みたい人には、個性持ちの世界がおすすめだ。
どこで普通をやめられるか
私は、人生は、どこで普通をやめられるか、だと思っている。学校を中退したとか、仕事をやめたとか、そんなことでいい。普通の道を外れないと、見えにくい世界もある。せっかくだから色々と絶望して、考えまくって、自分の価値観を打ち立ててみよう。挫折も運命の導きだ。頑張れなかったことにも必ず理由はある。ということが今の私になら理解できる。最後、常識に片腕だけでしがみついているときが、一番執着度合いが高いから、常識を手放すのは難しいと思う。当然支えがなければ落っこちるし、何もないことほど怖いこともないと思う。が、勇気をもって、踏み出してほしいと思う。
ようこそ、個性持ちの世界へ。
価値観の崩壊
1%の深淵と向き合ったとき、足場だと思っていた、今まで信じていた常識や世界観が崩れ始める。ぽっかりと空いた穴から、転落する。それが本当の絶望だ。ここが底か、そろそろ終わって光が見えるんじゃないか。いや、そんなことは起こらない。そのまま落ちていく。
それでも人生は続く
人生はそう簡単には終わらない。終わってくれない。絶望していても、基本的に人生は続くものだ。
まやかしの救いの手
あなたが苦しんでいるとき、誰かが手を差し伸べてくれることがあるかもしれない。でも残念ながら、本当の絶望から救うことなど、その人にはできないことだ。絶望している本当の理由が解決しない限り、本当の絶望に終わりなどないからだ。
きちんと絶望する
絶望をごまかさない、希望にすがりつかない。これは意外と大事なことである。こういう時に希望に縋り付くのは洗脳的な意味でも危険な場合もある。本当の絶望に希望などないことを知っておいてほしい。たぶんその希望は偽物だから。
絶望している人へ
あなたはおそらく助けを必要としている。けれども、あなたを助けてくれる人が現れることはない。それが本当の絶望ならば、希望は訪れない。でも、1つだけ信じてほしい。それは、自分で自分を支えられる日が来るということ。信じていれば、必ずその日はやってくる。
今回の一曲
Silent Solitude / OxT
『オーバーロードⅢ』エンディング
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